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2012年9月19日 (水)

<吉本隆明>を新しく読む!

●共同幻想とは人間関係のこと…

 吉本さんのタームで有名なのが“共同幻想”。まったく吉本さんとは関係のない文脈で使われてることも多く、たしかに、どこでも誰にでも使いやすい言葉だ。旧来の読者にとっては“国家とは共同幻想である!”の一言で絶対的な存在に見える国家を相対化してしまった革命的キーワード。ニーチェの“神は死んだ!”くらいの衝撃があったんだと思う。

 ただし、“共同幻想”が正確に理解されているかどうかはナゾ。国家は幻想である面があるが、『共同幻想論』ではそういう説明をしているのではないからだ。幻想を見てしまう理由と、それを使ってヤマトの国や、村々の共同体ができていく過程を解説していて、近現代の国家を直接に説明しているパートはひとつもない。近現代国家の機能分析ならばレーニンの『国家と革命』や、グローバルレベルではネグリハート『帝国』が詳細な分析がされいて、吉本さんも『国家と革命』を評価している…。

 『共同幻想論』で解説されているのは山村の小さな社会や共同体、古代日本の国家の生成過程だ。『遠野物語』に代表される伝承や巫女やシャーマンに象徴されるエピソードなど民俗学、文化人類学的なアプローチが大部分。簡単にいえば、そこでの“人間関係”が分析されている、といってもいいだろう。社会や国家は膨大な人間関係の総関数なのだから当然だ。経済の市場が膨大な相対取引の総関数であるように、吉本さんは個人と最小共同体である家族との関係を起点に、国家というものが見えてくるレベルまで論理を展開させている。この一貫性と強度は驚異的。そしてこれが吉本さんとその思想の魅力だろう。この思索する力は、不可能なものがないんじゃないか?と思わせるくらいスゴイのだ。そして実際、吉本さんの思索はその後もずっと続いて、コムデギャルソンから宇多田ヒカルまで、その方面のプロより深く鋭いクリティークが繰り返されていく。超高度資本主義の現代社会を読み切った『ハイ・イメージ論』まで、それは続いている。

●Mフーコーが『言葉と物』の失敗をコクった…

 共同幻想論をメインとした吉本さんの思想や理論のガイドは少なくはなく、また、どうにかハイ・イメージ論までサンプリングしてる批評もある。しかし、そのスタンスは旧来の読解のもので、ポストモダンを経過した見解はなく、たとえば共同幻想論は国家論…という一面で見ているケースがメジャーなようだ。難解で有名な『心的現象論序説』などは言及も少なく、『アフリカ的段階』のように奇書と呼ばれるものもある。逆にいえば、それほど強烈なオリジナリティと、フランスの現代思想の当事者たちが絶賛するような内容が吉本さんの著作にはあふれているのだ。資本主義最後の思想家ともいわれるMフーコーは自らの大著『言葉と物』の失敗を吉本さんとの対談でコクっているほど、吉本さんは信頼されているともいえる。

 『ひきこもれ―ひとりの時間をもつということ』のようにまずひきこもりを全面肯定してくれた思想は他にはない。もともとひきこもりな吉本さんだからこそ主張できた深さと優しさがある。他人にどう見られるかとか内容よりプレゼンの上手さ…みたいなものは吉本さんには一切通用しないのだ。『よせやぃ。』『超恋愛論』も理論を述べている著書より鋭い指摘も目立ち、答えはこれからみんなで出していかなければならないような提起がスルドイ。『初期ノート』は自身をグランドリセットとした吉本さんが再起動していくリアルな姿だ。レーニン『哲学ノート』みたいな縦横無尽の思索が、みずみずしい。同じ年の頃にこれだけ思索できたか?という大きな刺激にもなりそうだ。

 『ハイ・イメージ論』は『共同幻想論』と『言語にとって美とはなにか』の現代版。幻想というイメージの問題と、言語という概念などの問題を、視覚像も含む世界視線の問題として統合しようとしたもの。その心理作用は『心的現象論序説』から『心的現象論本論』へ拡張され、『ハイ・イメージ論』との相互補完的な文献として展開されている。心的現象論は未完だとされているが、ハイ・イメージ論のエンデイングと考え合わせると、ワザと未完で終わらせたのでは…と思えるところがある。ハイ・イメージ論は超高度資本主義下でマテリアルとテクノロジー以外は無効であることを宣言して終わっている。つまり超高度資本主義社会での思想や倫理はこれからみんなが考えることだ…と示唆されているワケだ。
 マルクスやフロイトや、遠野物語や日本書紀まで、さまざまなエグザンプルを参照しながら、吉本さんの思索は展開されてきた。上等な素材が神業のような手さばきで、時に予想もしなかったような新しい意味や価値となり、重要な意義を発していく。そうやって共同幻想論や心的現象論は書かれたのだし、また多くの対談がなされてきた…。読者にとってはどうだろう。

●国家も自分も<ゼロ>、あるのはゼロの可能性だ…

 新しく最大の思想家の最強の思索をフォローして、自分たちのスキルにするには、新しい読み方が必要だろう。ここではリア充な吉本ガイドを目指したいのだ。
 結論をいうと、吉本理論のベースにある概念を新しく考えなおして、自分たちに役立てようというのが本書だ。
 吉本さんが思索し、提出した概念装置を別の言葉に置き換えて考えてみる…そうやって<純粋疎外><遠隔対称性><中性の感情>といったものを、もっと使いやすくする…。新しい読解には新しい可能性があるハズだ。
 吉本さんが自らは知らずに構築していた理論の最重要概念に見出せるのが<ゼロの発見>ともいえるもの。
 この<ゼロ>を顕在化させて、自分たちの思索のスキルにしようというのが本書の企画だ。

 エグザンプルなどは文学的な意味や古いイメージもあるので、現代風に言い換えてもみる。
 この新しいタームへの変換では、同時に、だからこそ可能になった吉本さんの<ゼロの発見>を強調しておきたい。このことによって吉本理論をベースとするものはもっと汎用性が高くなるからだ。

 幻想性は<ゼロ>によって支えられているけど、そこには同時に、<ゼロ>には何でも代入できる…という可能性がある。ボクたちには、自らを<ゼロ>に代入して、なりたい何かになれる…という可能性があるのだ。吉本さんの魅力は、そのことをなんとなく示すかのように楽天的だったことかもしれない。すべての思想は無効になったと宣言しながら、ペシミスティックではないからだ。

 5年も同じことをやったら、その方面のプロになれる…吉本さんはどこかでそんなことを書いていた。もっとやったら開拓者になれる…ともいってくれていた気がする。国家も自分も<ゼロ>であることを示してくれた吉本さんは、そこへ自分を代入できることも教えてくれている。本書は<吉本隆明>を新しく読むとともに、読んでからのボクの見解をいくつも載せている。吉本理論に影響されたものの見方や、そのポテンシャルをプレゼンしているワケだ。むしろその方が多いかもしれない。吉本さんを新しく読むということそのものが、吉本さんに影響されて生まれたスタンスでもあるからだ。

 最強のスキルを自分のものにするためにも、コードゼロへ<自分>を代入してみよう。
 そのためのアドバイスをするのが、この本の目的だし、ボクの目的だ。

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