« <純粋疎外>という、コード・ゼロ | トップページ | <吉本隆明>を新しく読む! »

2012年9月 6日 (木)

最大の思想家が思索した、何にでもなるコード<ゼロ>の発見!

     色彩は自然を模倣するが、
     配色は論理を模倣する…。


 最大の思想家といわれる吉本隆明さん。
 未帰還者の彼は、現世に膨大なテキストを置いていってくれた。はじめの2行は“東京国際コレクション”で見たコムデギャルソンをサンプルにしたファッションについてのテキスト(『ハイ・イメージ論Ⅰ』「ファッション論」)からのもの。ファッションについて分析した明快な定義の一言。吉本さんの後輩でもある東工大のある学者は、今の小学生たちが大きくなった頃には吉本さんの多くのテキストが研究され、新発見があるだろうといっている。資本主義の最後の思想家といわれるMフーコーは、吉本さんのテキストが海外で出版されることを希望した。もちろん今すぐに吉本さんのテキストを読み、そのポテンシャルを知りたい人も多いはずで、何よりも近い将来の見通しさえハッキリしない現状では、なおさらそうだろう。専門家さえいまだにバブル経済の理由もその崩壊もちゃんと説明できなかったりする。しかし吉本さんの論考を手がかりにするとバブル経済でさえ明快に解ってしまうのだ。吉本さんはバブル当時にすでにその全体像に対する指摘をしていた。そこにはいまのグローバルレベルの民主化やデフレまで予測されている。

 

 『ハイ・イメージ論』の論考は鋭いクリティカルな内容で、サブカルから経済まで“現在”にフォーカスしている。現在を解明するために吉本さん自身が目指したオリジナルでクリティカルな思想だ。それはかつて絶大な影響をもった『共同幻想論』『言語にとって美とはなにか』の現代版であり、“現在”に対して明快な解を示すことができている。アバウトにいうと、人間と共同体の関係を解いた共同幻想と、言葉とその価値を解いた言語論を、イメージを中心に統合し直したのがハイ・イメージ論なのだ。

 そして、ハイ・イメージ論は現代社会で通用する思想がない…という解を示して終わっている。
 だけども、吉本さんの思想は暗くない。絶望を捨てるとかいうクールを装ったポーズではないし、その自然体のジャッジは、どこか悟りのようで、しかも宗教的なニュアンスでもなく、日常をふつうに生きていく静かな“力”のようなものがあふれている。詩人の繊細さをもった革命家というか…革命家の魂をちょっと秘めた横丁のオヤジさんみたいな…感じかもしれない。元気なひきこもり、シャイな人間オタクみたいな、そんなイメージもする思想家?が吉本隆明さんなのだ。

 

 2012年3月16日未帰還者となった吉本隆明さんは、戦後最大の思想家。ノンジャンルで展開される頭脳はクールで、丸山真男論をキッカケにCIAにリストアップされたといわれるほど。社会についての発言はいつも刺激的。誰もが気がつかない視点をもつダークホース的な存在だけど、ホントはダースベイダーのような“最期に優しさ”のようなものを漂わせてくれそうなのがリアルな吉本さん、らしい。もちろん、“マクドナルドな作品”といわれた小説で世界で人気を得た作家よしもとばななさんのお父さんだ。

 当時?も今も、吉本さんの人気が絶大なのは団塊世代や全共闘世代という人たち。学生運動がさかんだった頃、“国家は幻想である”ことを示した『共同幻想論』の本とともに吉本さんは大スターだった。この世代の人たちが書いた吉本さんのガイド本や関連書籍があり、読まれている。ただ当時共同幻想論が人気だったように、それらの本の内容も共同幻想や当時の思想や哲学のワクにとらわれているものが多く、逆に“最も難解な書”といわれる心的現象論などが取り上げられる機会は少ないようだ。

 新しい世代?では糸井重里さんの“吉本隆明リナックス化計画”や渋谷陽一さんの「SIGHT」での吉本さんの連載などがあり、読者は少なくないようで、若い女性のファンも増えている。吉本さんの講演がDVD化されたり、身近な内容の斬新な書籍となって読まれている。iPodで吉本さんのワンフレーズを聴いている人もいるようだ。

 もっとも新しいのは東浩紀さんの「思想地図」などと周辺の読者かもしれない。吉本隆明さんは小林秀雄とともにたった2名だけその想像力を「思想地図」からリスペクトされる思想家なのだ。ただし、新人類以降の世代からは吉本理論の紹介本やガイドは出ていない。たぶん、これから吉本さんを読んでいこうというのが最大公約数なのかもしれない。

 

 95年のWindows95や96年のインターネットの本格的な商業化スタートでコンピュータとネットは日常化し一般化した。文系理系問わずプログラマは普通の職業になり、PCやIT関連は社会や産業の重要なベースになった。テクノロジーとマテリアルが社会の進歩のキーだ。世界に植民地とか低開発国がたくさんあった頃は、“解放”のためのイデオロギーや“進歩”のための物語りが必要だった。現在はどこかに占領されてる場所は少ないし、開発途上国には先進国からIT技術が入り、ジャングルでもWIMAXがOKだったり、ケータイは多くのところで使えるようになってきた。テクノロジーとマテリアルのおかげだ。そのなかで思想や哲学だけがおくれているのかもしれない。たとえば思想や哲学、精神分析まで、システム論などが取り入れられてきたが、その成果がなかなか確認できなかったりする。

 消費がGDPの半分以上を占める日本やアメリカなどの先進国ではモノがあふれ、景気がよくなくても、どこでも商品はたくさん並んでいる。恒常化したデフレ状態だ。これまでの人類の歴史のすべてが、無いものを作り、必要な物を生みだし、欠乏を補うものだったけど、現在は逆。モノがあふれ、いろいろなチャンスが誰に対してもあり、すべてが“過剰”だということができる状況になってきている。現在のキーワードは<過剰>なのだ。

 吉本さんの『ハイ・イメージ論』では、その<過剰>な世界をターゲットにして分析している。現在の“共同幻想論”であるハイ・イメージ論では、欠如を埋めようとした時代の倫理が、今はもう通用しなくなったことを結論にしている。フラット化した社会では今までの思想や倫理は無効になってしまったのだ。

 しかし、そのフラット化した、すべてはゼロであるような状況でこそ、力を発揮する思想はある。
 疎外概念から思索して、国家がゼロであること、自分さえゼロであることを示した吉本理論は、同時に、その<ゼロ>には何でも代入できることを明らかにしているからだ。
 すべてがゼロであることを示した思想は、同時に誰もが何にでもなれることをも示してくれた、といえる。
 <ゼロ>には何でも代入できるからだ。

 そのコード・ゼロに接続する導きとしてこの本は企画された。
 読者はそれぞれに<自分>を代入してほしい。
 フラット化した社会だからこそ、これからをクリエイトするのは自分たちなのだから。

« <純粋疎外>という、コード・ゼロ | トップページ | <吉本隆明>を新しく読む! »

Prolog/ボクが読んだ<吉本隆明>」カテゴリの記事

コメント

ハイ・イメージ論はノンジャンルの論考です。イメージへの思索がメインですが、そこからアート、哲学、心理学、言語論、そして政治や経済までも探究されています。クラフトワークの吉本さんオリジナルな楽譜?が描かれていたり、グラフィカルな楽しさもあります。Jケージへの分析やカフカの読解をとおして音楽の原点を探ったりしつつ、それと精神疾患などの類似性をまったく同質同列に解析してみせたり、トライアルで、しかも完成度が高い内容になっています。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/589263/55594876

この記事へのトラックバック一覧です: 最大の思想家が思索した、何にでもなるコード<ゼロ>の発見!:

« <純粋疎外>という、コード・ゼロ | トップページ | <吉本隆明>を新しく読む! »

ギブミー、ポチッ!

よかったら押してください!

無料ブログはココログ

PV

  • android

いろいろ

  • いろいろ