<純粋疎外>は<ゼロ>の発見!
インド哲学がゼロを発見したことによって数学も論理学も飛躍的に発展しました。
仏教や、空海のような認識論までひろげれば、それはさらに現代の理論物理学まで含むあらゆる分野に歴史的な衝撃と進歩をもたらしたといえるでしょう。
人類がいちばん古くから考えてきた心=魂への孝察においてはどうか?
確かに精神分析は無意識を発見しましたが、その後もこのブラックボックスに依拠するというスタンスに変化が無く、ラカンのように<現実界>という概念を設定しブラックボックスを明確に対象化したところで、それがブラックボックスであることにかわりはありません。
生命の自己生成から社会への孝察にまで広く援用できると期待されたオートポイエーシスのシステム論においても、それは同じです。
オートポイエーシスのシステム論には<外部>が定義できないという限界があります。
そしてこのことによってシステム論の最大の特徴でありメリットとされた<境界>の自己生成という発想にも大きな疑念をはさまざるをえないと考えられます。
なぜなら、<外部>の定義がアヤフヤなのに<外部>と<内部>の区切りである<境界>が定義できるワケがないからです。
ただし<外部>や<境界>を明確に定義できないという弱点こそ、逆に論理的な根拠として利用できる可能性があります。
そのヒントが<ゼロの発見>です。
無いというコトを<ゼロ>と定義して明確に概念化したインド哲学のように、明確に定義できないことは{<定義できない>と明確に定義}すればいいワケです。
吉本隆明氏の心的現象論は、受胎(あるいは受精)の瞬間からはじまる心的な世界に、<ゼロ>の概念を導入することで理論的な展開を可能にしたもの。心的世界での<ゼロの発見>によって、心理学から哲学だけではなく、さまざまな認識論までもつらぬく心の現象学を打ち立てることができたわけです。
それが<純粋疎外>と呼ばれるもの。
これが<ゼロの発見>です。
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» “心の原書”?は最も難解といわれる本…『心的現象論序説』 [NOBORU CutUp]
最も難解な本といわれていますが、吉本隆明氏の膨大な著書の中ではいちばん理路整然と書かれている感じがします。いわゆる原理論の書。本書を読んでから『共同幻想論』や『言語にとって美とはなにか』を読むと理解しやすいかもしれません。
――――――――――――――――――――――――――――...... [続きを読む]
<純粋疎外>は<原生的疎外>のベクトル変容である…という有名?な定義があります。原生的疎外は<存在するコト>そのもので、純粋疎外は<生きていくコト>そのものといえるかもしれません。
<純粋疎外>は吉本さんの思想・理論を最初から最後までつらぬく概念装置。共同幻想や対幻想、その他のさまざまな用語や概念もこの<純粋疎外>のファンクショナルな現れです。
ハイ・イメージ論ではこの<純粋疎外>が縦横無尽に駆使されてクリティカルな論考がされています。また<純粋…>というカタチでいろいろな概念装置へ発展します。共同幻想など3部作のタームも、それぞれはそのうちの一つです。
投稿: NOB | 2012年9月26日 (水) 23時06分