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2012年11月15日 (木)

根源的な世界との関係

●世界との関係

 乳胎児にとって<世界>と自己は不可分ですが、部分的に可分となり対象化することが可能になります。


  赤ちゃんは空腹になるとオッパイが欲しくて泣きます。
  泣くとオッパイがもらえて空腹が満たされます。
  これらが反復されてある認識が成立します。

  泣くとオッパイがもらえて空腹が満たされる、ということ。
  空腹はイヤだ、ということ。
  泣いている自分がいる、ということ。
  オッパイという他者がいる、ということ。


 「空腹」というのは自己に起る必然的な現象で、それは現象に表出された自分そのもののことです。この反復から抽象化された自己認識(自己同一性)が析出していきます。
 「泣く」というのは自己の行為であり、行為をとうして自己そのものも対象化され自己関係性が生成されていきます。
 「オッパイ」というのは他からやってくるものとして他者であり、対象化された世界の一部です。
 「泣くとオッパイがもらえる」というのは自己と世界との関係です。受動的な自己の振る舞いが生む結果と自分との因果関係であり、その点で自己(の行為)を規定するものです。やがて「泣いてオッパイをもらう」という能動的な自己関係性に再帰し、自己コントロール可能な意識が確立します。これらは<世界>における<自己>と<他者>の在り方を示すものです。

●2つの自意識

母という世界との関係は反復することにより2つの認識を確立していきます。


  反復から抽象化される自己同一性。
  反復から対象化される自己関係性。


 自己同一性は「ワタシはワタシ」という言葉で表せる即自的な自意識であり、自己関係性は「ワタシのワタシ」という言葉で表せる対自的な自意識です。
 自己同一性は抽象化された自意識であり、反復する再帰性における不変的な意識だといえます。自己関係性は対象化された自意識であり、反復し再帰するごとの変化の可能性と外部性の意識だといえます。


  ワタシはワタシ
         自己同一性・自己抽象性
         即自
         強度・概念・自己確定
         現実界
         知覚からの離脱

  ワタシのワタシ
         自己対象性・自己関係性
         対自
         場所・規範・指示決定
         象徴界
         ベクトル変容


●根源的な2つの問い

 これらの意識は心的な認識システムの重層的なファクターの根源的なものですが、その可塑的な変成により発達成長してからも常に表出する可能性があります。
 時に<ワタシそのもの>へあるいは<ワタシがいる世界>への根源的な問いとして意識上にのぼります。自己関係性は反復と再帰により対他意識、他者関係性へと拡張し発展します。この拡張性(拡張することの可能性)が人間と動物との違いであり、それは<遠隔対称性>として無限に拡張しうる観念の可能性そのものです。


  ワタシはダレ?
  ココはドコ?


 自己対象性・自己関係性から生成する意識で最も根源的な問いは以上の2つです。
 これらは自己への問いであるとともに世界と他者への根源的な問いにもなっています。
 ここから意識の根源的な対象性として認識の基本となる<規範>が生成します。


  自己関係性の対象性に外部から具体性を導入して形成される意識が<規範>です。
  自己同一性の抽象性に外部から具体性を導入して形成される意識が<概念>です。


 自己同一性は自己意識そのものから自己規定するものであり、自己関係性は自己意識の外部から自己規定するものです。
 「自己意識そのものから自己規定」するときの属性は時間性として把握されます。自己関係性における「自己意識の外部」というのは外部環境由来の主に感覚的受容による知覚情報が考えられ、その属性は基本的に空間性です。

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