物語の2つの方向性
●基本となる2つのベクトル
物語の原初の論理は2つの志向性として生成します。
吉本理論のようにフロイト的に語れば、基本的にはエスから自我が離脱(しようと)するベクトルと、エスへ回帰しようとするベクトルの2つ。
別の面からみれば、それは観念が自律しようとすることに対して<YES>と<NO>のスタンスがあるということです。YESとは観念が自らの生成を育み個として自立しようとするベクトルであり、NOは個以前の状態への回帰、エスへの回帰。
このエスへの回帰は<(人)類>としての存在への回帰だともいえます。
おそらくこの<YES>と<NO>というスタンスは、やがて<イナイイナイ・バア>として発現、表現され、その後のすべての認識の基本となっていくもの。文字どおりの<YES・NO>として、行動や思考や言語の根幹を左右し展開していくものと考えられます。
●死という最大のイベント
エスからの離脱が始まった時点(つまり個体生命として存在した時点)で、すでに自我が迎えなければならない最大のイベントととして死があります。
原初のベクトルはエスからの離脱をめぐるものでしたが、生を獲得してしまった以上、その終わりである死が究極のイベントであり、すべてのベクトルが死に対する何らかのカウンターとして生成するものだと考えられます。フロイト-ラカン的にいえば死は最大の去勢であり、すべての生はこの去勢との反作用としての営みだといえます。
●イベントに対応する物語
この死を最大のイベントだとして考えたE・キューブラー・ロスという人がいます。その著書『死ぬ瞬間』では死を極限とした事件に対して人間がどのような認識をもつか、その原型が臨床における具体的な孝察の結果として示されています。
ロスによれば、それが物語の原型としての7段階です。
吉本さんはそれを援用し、そこに母の物語とのかかわりを導入して考察することでオリジナルな物語論?の基本を作りました。
つまり、人間がストレスに対してどう対応するかという基本形に、そのストレスから自分を救済してくれる原型としての母の物語(母による養育・擁護を基本とする)をバイアスとして導入したと考えられます。
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